進路希望のことは困ったけれど、それ以外のことはいつもどおりに過ぎ、放課後を迎えました。
「あ、石川さん、さようなら」
「は、はい、さようなら…」
 存在感の薄い私はあまり気に留められませんけれど、でも何人かの子と挨拶を交わしつつ教室、そして校舎を後にしました。
 部活動に向かう子たちの姿も見られますけれど、私はどこにも所属していませんから、そのまま正門へ向かいます…と、家路につく生徒のうち半分くらいの子がその前に脇道へそれていきますけれど、その子たちは学園の敷地内にある学生寮で生活をしているんです。
 私も寮生活はちょっと興味がありますけれど、相部屋になるみたいですし、人見知りしてしまう私には無理かな…それ以前に、私の家は学園から徒歩十分と近いところにあるから、学生寮に入る必要がないんですけど。
 と、この町は成り立ちから少し特殊で、何もない場所にまず私の通う私立明翠女学園ができて、その後それを中心に町が発展していったといいます。
 ですからあの学園はとても広い敷地を有していたわけですけれど、その周囲も計画的に整備されていて、その整然とした住宅地にあるやや大きめの邸宅が私の家です。
「…ただいま」
 玄関の扉を開けて中へ入りますけれど、中はとっても静か…でも、誰もいないわけじゃありません。
「あ、お帰りなさいませ、お嬢さま」
 奥からやってきて私を出迎えてくれたのは、お家で雇っている家政婦さん。
 母は私が幼い頃に亡くなっていて、父はお仕事がご多忙でこちらへ戻ってくることは稀ですから、基本的にここには私とこのかたしかいないことになります。
 今日は特に習い事もありませんし、のんびりと…。
「と、ご当主より言伝がございました。あまりくだらないことばかりに時間を使わない様に、と」
「え、えっと…」
 冷ややかな口調のその言葉に、私は声を詰まらせてしまいました。
「では、夕食の時間になりましたら呼びに…」
「…ううん、夕ごはんは自分で作るから。そのくらいいいですよね?」
 それだけ言って私は二階にある自分の部屋に入りましたけれど…思わずはぁ、とため息をついてしまいました。
「くだらないこと、かぁ…」
 さっきの言葉を思い出すと力が抜けちゃって、思わず制服のままベッドに倒れこんでしまいました。
 それって、やっぱりあれのことなんですよね…と、横になったまま部屋を見回します。
 明るい色の壁紙やカーテンで統一された部屋にはこのベッドの他に机や棚などに加えて、テレビやゲーム機、それにアニメのDVDやゲームソフトが何本か棚に収まっているのが目につきます。
「そんなに、くだらないかなぁ…」
 これまでにも何度か父に言われてきたこととはいえ、ちょっとがっくりしちゃいます。
 確かに周囲にこういうものが好きそうな子は誰もいないし、だから私もこういうのが好きだって誰にも言えていません…父同様に、否定されて終わっちゃいそうですから。
 でも、好きなものは好きなんですし、別に悪いことではないんですから、そんな無下に否定しなくってもいいじゃないですか…。
 傷ついちゃった気持ちを癒すには、やっぱり好きなアニメを観たりするのが一番ですよね…特に好きな声優さんが出ていてさらに女の子たちがたくさん出ている作品ならなおさらです。
 ということで気を取り直し身体を起こして、アニメのDVDをセット…音量は大きくしちゃうと外に漏れて怒られちゃうかもしれませんから抑えておかないと。
「う〜ん、やっぱりすごいよね…」
 アニメを観て出た感想が、それ…ううん、内容のほうはほのぼのするものなんですけど、これは別のものに対する感想。
 そう、これは出演している、私の好きな声優さんに対するものでした。
 演技もそうですし、キャラクターによって声がちゃんと使い分けられていたり…しかも、このかたって確かまだ二十歳くらいじゃなかったかな。
「…私も、頑張ったらなれるかな?」
 ふとそんなことをつぶやいてしまいましたけれど、別に突拍子もなく思いついたわけじゃなくって、これは前々から考えていたことなんです。
 憧れの存在でしたら自分もなってみたい、って思うのは自然ですよね…別世界みたいですけど、どんな職業のかただって同じ人間なのですから、絶対に無理なんてことは…。
「ん〜…こほんっ」
 そう思った私はにわかに立ち上がって軽く咳払い、そしてちょっとアニメの台詞をそのキャラクターっぽく言ってみたりします。
「何か違いますよね…やっぱり、普段から発声練習とかしないと…」
 ということで今度はおなかに力を入れ声を出して…と、そのとき、不意に部屋の扉がノックされます。
「…きゃっ? だっ、誰ですかっ?」
 うぅ、思わず飛び跳ねてしまいそうなほど驚いちゃいました。
「はい、お嬢さま、お茶をお持ちいたしました」
「あ、え、えっと、ありがとうございます…」
 やってきたのは家政婦さんで、机の上にティーセットを置いていきます。
「ところで、先ほど何か声らしいものが聞こえましたが、何かありましたか?」
「えっ? う、ううん、何にもないですよっ?」
「そうですか、では失礼いたしました」
 少し慌てちゃう私に家政婦さんはちょっと冷ややかな目をするものの部屋を後にしてくれましたから一安心です。
 でも、さっきの発声練習の声が扉の外に漏れちゃってたんですね…。
「…はぁ」
 ため息をついてしまいつつも、椅子に座って紅茶を口にします。
 これで少しは落ち着きましたけれど、でもやっぱりお家で発声練習とかなんて、無理ですよね。
 所詮は届かぬ夢、か…。

「あ、あの、綾瀬先生…」
 翌日、学校のお昼休み…お弁当を片手に教室を出た私ですけど、廊下で見かけた私と同じくらい、つまり腰のあたりにまでのびた長い髪をした背中に、思わず呼び止めてしまいました。
「…ん? あぁ、石川か、どうしたのかな?」
 学食などへ向かう子たちで賑わう廊下、そんな中にあって掻き消えそうな私の呼びかけに反応して振り向いてくれた一人の女の人。
 標準くらいの背はある私よりも少し高い、そして抜群のスタイルを黒いスーツに包み、整った顔立ちに鋭い目をした、まだ私たちとそう年齢の離れていないその人は、私のクラスの担任をしている綾瀬先生です。
 視線にあわせ口調も低めですから第一印象は恐そう、というものでしたけれど、いい先生です…といっても、声をかけるのはやっぱり緊張します。
「は、はい、その、これを書きましたので…」
 緊張する気持ちを抑えながら、ポケットに入れていた一枚の紙を手渡します。
「あぁ、進路希望調査だね。うん…確かに受け取ったよ」
 受け取ってくれた先生はかすかに微笑みます…それがまた素敵で、そのために綾瀬先生は人気があるんですけど、今はそんなことに思いを馳せている余裕はありません。
「ん…その顔は、まだ悩んでいるみたいだね」
 と、先生、私の顔をじっと見てそんなことを言ってきます…?
「あ…えっと、その、ごめんなさい…!」
 美人な先生に見つめられて、さらに図星なことを言われてしまって、思わず慌てて頭を下げました。
「いや、謝ることは何もないし、悩むのも当然だと思うよ。それに、まだ焦って自分を追い込む時期じゃない…後悔のない様にゆっくり考えていけば大丈夫だから、ね」
 先生はそう言って立ち去っていきました。
「焦る時期じゃない、か…」
 でも、このままだと、一年後も同じことで悩んでしまっている気がします…。


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