第一章

「ごきげんよう」「あ、おはようございます」
 ―同じ制服を着た女の子たちの交わす挨拶が耳に届く中、私もそんな皆さんに混ざって正門を抜け、学校の敷地へ足を踏み入れていきます。
 新学期がはじまって一週間、正門からまっすぐにのびた並木道の両側にあるたくさんの桜の木々はすでにその花びらをほとんど落としてしまっていて、今はもう新緑が目立ちはじめています。
「お姉さま、おはようございますっ」
 そこを歩く子の中にはそんな元気な声をあげて走り抜けていく子たちもいますけれど、そういった子たちは私のものとは少し違う制服を着ていて、また見るからに小さい…そう、私が高校生なのに対してその子たちは小学生。
 ここには初等部から高等部までが同じ敷地内にありますから、正門を抜けた後もこうした光景が見られるんです。
 初等部の生徒たちは無邪気で本当にかわいい…私にもあんな頃があったっけ、と思ってしまいます。
 そんなことを思いながら歩いていきますとやがてその先に古くて立派な講堂が見えてきて、そこを中心に道が分岐しています…初等部や中等部の子たちとはそこでお別れして、私はそのうちの一本の道の先にあります古びた木造建築物へ向かいました。
 そこが高等部の校舎…今日も穏やかな日常のはじまりです。

 ―私の通う学校、私立明翠女学園。
 元は明治期に家族の令嬢が通うために設立された小中高一貫型の、現在でも名門女子校として名高いらしい学校です。
 いわゆるお嬢さま学校らしい上に生徒数も少なめにされていますから、中等部や高等部からの途中入学はとても厳しいとされています。
 でも、私…この春から高等部二年生になった石川麻美はここに初等部からずっと通っていますから、あまりそうしたことは感じません。
「石川さん、おはようございます」
「あ、えと、おはようございます…」
 ちょっと古びた感のある校舎の二階、二年生の教室へ入り、すでに登校していらした他のクラスメイトと挨拶を交わします。
 すでにいらしている皆さんのほとんどは他の子と雑談をしていますけれど、そんな中で私は誰とも言葉を交わさずに一人席につきました。
 いえ、別にいじめられているとかそういうことじゃなくって、私は元々他の人と接するのが苦手で、また目立たない存在みたいですので、それでこうやって一人でいることが多いんです。
 ちょっとだけさみしいかなって思うこともありますけど、昔からずっとこうだったからもう慣れちゃったかな…それに、私の趣味のこととかあんまり知られたくないから、自然とみんなと距離を取っちゃうんです。

 初等部の頃から顔触れにあまり変わりのないクラスメイトの面々、ただ穏やかに過ぎていくだけの日常。
 その中にあって私も目立たないなりに日々を過ごしていますけれど、高等部二年生となってきますとただただそうした日々に流されるだけではいけなくなってきます。
「では、今配った紙は明日までに記入し、提出をすること」
 ホームルームがはじまるとともに各自に一枚の紙が配られて、そして教壇に立つ先生がそうおっしゃいますけれど、困りました。
「霧碕さんは何て書くおつもりなんですの?」「はい、わたくしはこのままこちらの大学へ進学しようかと思っておりますわ」
 休み時間になって、クラスメイトたちがさっそくその話題についての雑談をはじめますけれど、私は机の上に置いたままのその紙を見つめながら、一人考え込みます。
 配られた紙は、進路希望調査のもので、自分の望む進路を第三希望まで書く様になっています。
 進路希望、か…去年の今頃にも漠然とでいいから考えましょう、と言われましたっけ。
 あのときは、何て書きましたか…父の望む進路をそのまま、ううん、次善の道だという父の言うしかるべき人との結婚、なんてものはどうしても考えられませんでしたから、結局はまずこのままここの大学へ、としたのでした。
 元は明治期から続く財閥の家系である石川家、その当主である父は会社などを経営していらして、唯一の子である私に期待をしているみたいなのですけれど、私にそれへ応えるだけの…ううん、それが私のしたいことだとは思えないのです。
 でも、父が望む道以外での将来の展望を、今の私は全く思い描けていません。
 ただ日々を穏やかに過ごしているだけじゃいけない…けど、この先私が何をしていきたいのか、思い浮かばないんです。
 …ううん、思い浮かばないことはないんだけど、いくら何でもそれは子供が見る様な夢、遠い憧れだから。


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